”いじめ” にあったら、学校へ行くな! これはkazan の2006年来の主張です
この年の3月6日に、マダムkazanを送ってから、「人の死」と言うものに初めて深く心に留め置くようになったことが原因でしょう。祖母、両親、叔父、伯父、叔母、伯母、従兄本当に多くのひとを見送ったのに、誰一人として看取った人はいませんでした。
無論、マダムの時も同様です。
初めて、残されてた人の寂寞感、寂寥感を現実に対峙すること経て、知ったからでしょう。
そのために、2006年来、学童のいじめ自殺報道があるごとに、ブログで主張してきました。
「何のために学校へ行く?」「いじめで、死ぬことを考えるな、学校なんか行くな。」「休め」「不登校」の方がなんぼマシかを発信してきました。
事件が起きると、大人(学校・教育委員会)は保身的な行動に走るだけです。 どこまで真剣に学童の「死」と向き合ってきたでしょう。 多くは薄っぺらに自己保身に巧みに日本語ですり替え、潮目の変わるのを待つだけです。
そんなことになるだけです。
「学校へは行くな。 いじめられたら、行くな」。 そして行かないことが最大の「サイン」になる。
そんな思いで、動画をアップしました。