2015年10月13日火曜日

「ヴリーツェンに散る桜」

ユネスコの歴史捏造の腹だたしさを、払拭するには、「心温まる話」がベストです。 
kazanの場合はブログ「ねずさんのひとりごと」がその筆頭なのですが、今日は、3日連続のブログ「なでしこりん」さんのネタです。
戦後の東ドイツで37歳で客死された日本人医師・肥沼信次博士の話です。
kazanは、例によって、不勉強で存じてませんんでした。 本当にお恥ずかしい限りです。
拝読しましたら、 
第二次世界大戦後、ドイツ占領ソ連軍が創設したドイツのヴリーツェン(Wriezen)の伝染病医療センター初代所長となり、チフス・コレラなどの疾病対策に力を尽くす。だが自身もチフスに罹患し、1946年3月8日、37歳で死去。
と記述がありました。 





ご臨終の際、
「桜が見たい」と言い残されて、それが伝えられ、後にヴリーツェンには日本から桜の木が贈られた。1992年、ヴリーツェン市は肥沼に名誉市民の称号を贈った。
とあります。

また、それがご縁で、「なでしこりん」では、311の震災時には、ヴリーツェン市からも、義援金が贈られたことが記載されてました。
東ドイツではなく、西ドイツでの活躍であれば、もっとニュースになったのでしょうがと思われて、残念なことでしたが、 著作家なかむらちゑ氏が、肥沼信次博士の著書「ヴリーツェンに散る桜」を上梓しております。
著作家なかむらちゑ氏についても、詳細はネット上でも、同氏の著作情報はヒットし、あまりよくわかりませんが、 ブログ「なでしこりん」をリンクURLは下記の通りです。
命を賭して、異国で、その土地の人々に惜しまれ、今なお尊敬されている、日本人は少なくありません。

ここ台湾でも、kazanが知るかぎり、お二方がいますが、残念んながら、もうひと方の情報をネット上さがす手立てを不注意にデリートしてしまいました。
台湾の地方の開業医だったと記憶しておりますが、いずれ古老にお会いしたときに、伺ってみようと思っております。
もうひと方は、烏山頭ダ厶の工事責任者・石川県出身の八田與一土木技師です。
八田與一技師のことは、台湾の小学校の教科書にも出ている偉人でです。 詳細はいずれの機会にゆずります。
日本を悪くした戦後派に属する、軟弱なkazanには、自分の大先輩たちの年代の日本人に、気骨のある生涯を送られた方が本当に多いと、いつも感銘しております。 きっと、戦後の日本の教育風土、社会、文化が終戦を境に消えたことが最大の原因だろうと、また例のごとく、他人の所為にしております。 お恥ずかしい限りです。


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